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掌の砂、流れる雲、それから。

掌の砂、流れる雲、それから。

神様が笑ってる。

神様は言葉を発しない [ 信仰関連について・あれやこれや ]



神様は、こっちが窮地に立っている時でも

沈黙を保っている。

「ねえ!なにか言ってよ!!」と半狂乱になりながら

泣きながらこっちが訴えても、大概、何も言わない。

だから時々、この世に神も仏もあるもんか、と不貞腐れる。

でも。

本当に神様はいるのかもしれない。

そう感じられるようになった。

何故かは分からない、いつからかもはっきり分からない。

でも、なんとなく…というか肌で感じることがある。

神様は、苦難の中で出逢う人となることもあるし

ちょっとした曲の一節に宿ってくる時もある。

自分が何かに依存してる状態の時は、違うと思うけどね。

そういう時に出逢う人は、自分の不幸に依存してくる人だ。

でもそうではない時、そうではない人に出会ったら

その人がきっと、いろんな事を教えてくれる。


私が悩んでいる時

「神様は代償を求めないと思いますよ」

とポーンと言って下さった方がいた。

それで開けた。時間を捧げる・お金を捧げる、信仰とは言わないまでも

人は何かの折りに触れて、祈らずにはいられない。

その心が尊いのだ。自分の悲しみに囚われている時も

多分、どうやって立ち上がっていくのか、見てる存在がある。

その時に、何も自分の身を切って、何かを捧げる必要はないと思う。

神様は直接には語りかけることはない。

私が泣いたり笑ったりすることを、黙って見てるだけだ。

でも考えてみたら「黙ってる」ことが一番強い愛情だと思う。

傷ついた心を、神様に訴える時に、

すでに心が捧げられている状態なんじゃないだろうか?

それ以上、何かを代償にしなければ

功徳や守護を与えない、そんなケチくさい存在ではないと思う。




神様、という表現が不適切なら

自分を見守ってる計り知れない存在、でもいい。

そんな存在が、自分の心の状態に応じて

人を連れてくる。

それは信じてる。


あなたは何も言わない。

あなたは私に指図しない。

でも厳然としてあなたは、そこにいる。

そんな風に、私は信仰を捉えたい。




Last updated 2005.09.19 22:13:34


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